梅月
梅月(ばいげつ)は、かつて小樽市稲穂にあった中華料理店。
前身は、小樽の中華料理界の草分け的存在とされる、小樽中央ホテルの初代の中華料理長・近藤庫司が、1944年(昭和19年)に独立して、龍宮神社下にあった建物を買いとって開業した、割烹旅館「割烹 梅月」である。この店舗が戦後に火災で焼失した後、小樽駅近くの静屋通りに移転して、1957年(昭和32)年9月18日に「中華料理 梅月」として再開業した[1]。
再開業後の「中華料理 梅月」は、1階が中華食堂50席、2階が80席を備えた宴席で、名実共に小樽を代表する中華料理店であった。特に市民の心を捉えたメニューが「五目あんかけ焼そば(炒麺)」であった。当時の小樽の中心街は活気に満ちており、小樽市民にとっては、デパートでの買物の後に、梅月の五目あんかけ焼そば(炒麺)を食べて帰るのが流行であった[1]。
小樽市民のみならず、観光客にも人気を博していた。昭和40年代に加藤登紀子の楽曲「知床旅情」がヒットした頃は、リュックサックを背負って北海道を旅行する旅行者「カニ族」が急増し、梅月にも大勢のカニ族が来店して、店の入口にリュックを積み上げて食事をしていた[2]。
単に繁盛した料理店というだけでなく、小樽・北海道の中華料理の普及の中心的存在でもあり、梅月で修業した多くの料理人が、全道へ散って行った。また、日本中華料理連盟小樽支部の研修会場でもあり、多くの料理人が研を続けていた[2]。
しかし、札幌市の真駒内に建設したフリーズドライ工場や、自家製麺の失敗が原因で、経営が悪化した。さらに、2階で焼肉店を営むなどの試みが裏目に出たことで、1993年(平成5年)に閉業した[2]。
その翌年の1994年(平成6年)、店主の縁者が花園レインボータウンに2代目の「梅月」を開店した。富岡町に商大通り店を出店するほど好評であったが、諸事情により閉業、商大通り店も2013年(平成25年)に閉業した[2]。
あんかけ焼きそばの元祖?
2010年代初めに、あんかけ焼きそばによる小樽市の地域おこしが始まった頃、市民団体「小樽あんかけ焼そばPR委員会」によれば、「梅月」が最初にあんかけ焼きそばをメニュー化したとされていた[3]。しかしその後の研究では、小樽市内の中華料理店「レストラン・ロール」などで、「梅月」に先駆けて1950年(昭和25年)頃に、すでにあんかけ焼そばを提供していたとの報告もあり、必ずしも「梅月」があんかけ焼きそばの火付け役とはいえないとも考えられている[1]。
