「レストラン・ロール」の版間の差分
提供: 小樽のじかん事典
ページの作成:「'''レストラン・ロール'''は、小樽市内の都通り商店街にあった中華料理店。 1951年(昭和26年)頃に開業した。ラーメン、焼きそば、焼売、八宝菜、天津丼などが人気メニューであった<ref name="あんかけ焼そば事典">『小樽あんかけ焼そば事典』、91-92頁。</ref>。後年に小樽名物として人気を博すあんかけ焼きそばも、創業当初から「炒麺」「八宝炒麺…」 |
桂苑の開業時期を訂正 |
||
| 5行目: | 5行目: | ||
戦後は小樽市内でも各ホテルが進駐軍に買収されたことで、外国人兵士で賑わった。進駐軍の戦艦が小樽港に入港すると、外国人専門の洋食店へと業態を変更し、ステーキ、フライ、目玉焼きなどの提供を始めた。2階には座敷とスペシャルルームに加え、バーまで設置され、夜には従業員がホステスをつとめた。当時としては珍しいSPレコードのジュークボックスもあり、テネシーワルツなどの流行歌も流れており<ref name="あんかけ焼そば事典" />、アメリカ兵士や日本人の客が店員たちと一緒に踊る姿も見られた<ref>『小樽あんかけ焼きそば事典2022』、89頁。</ref>。 | 戦後は小樽市内でも各ホテルが進駐軍に買収されたことで、外国人兵士で賑わった。進駐軍の戦艦が小樽港に入港すると、外国人専門の洋食店へと業態を変更し、ステーキ、フライ、目玉焼きなどの提供を始めた。2階には座敷とスペシャルルームに加え、バーまで設置され、夜には従業員がホステスをつとめた。当時としては珍しいSPレコードのジュークボックスもあり、テネシーワルツなどの流行歌も流れており<ref name="あんかけ焼そば事典" />、アメリカ兵士や日本人の客が店員たちと一緒に踊る姿も見られた<ref>『小樽あんかけ焼きそば事典2022』、89頁。</ref>。 | ||
店主が交通事故死したことで、1957年(昭和32年)頃に閉業した<ref name="あんかけ焼そば事典" /> | 店主が交通事故死したことで、1957年(昭和32年)頃に閉業した<ref name="あんかけ焼そば事典" />。その後、この店で働いていた料理人の1人が独立し、いくつかの店を経て、1964年(昭和39年)に都通りで「中華食堂 桂苑」を開業するに至っている<ref name="あんかけ焼そば事典" /><ref name="HBC20250528" />。 | ||
== 脚注 == | == 脚注 == | ||
<references /> | <references /> | ||
[[Category:小樽の閉店・閉鎖された建物]] | [[Category:小樽の閉店・閉鎖された建物]] | ||
2026年3月1日 (日) 22:07時点における最新版
レストラン・ロールは、小樽市内の都通り商店街にあった中華料理店。
1951年(昭和26年)頃に開業した。ラーメン、焼きそば、焼売、八宝菜、天津丼などが人気メニューであった[1]。後年に小樽名物として人気を博すあんかけ焼きそばも、創業当初から「炒麺」「八宝炒麺」の名で提供されていた[2][3]。アワビ、ホッキ、エビ、フカヒレといった高級食材を用いた料理もあった。小樽で最初にジンギスカンを始めた店でもある[1]。
戦後は小樽市内でも各ホテルが進駐軍に買収されたことで、外国人兵士で賑わった。進駐軍の戦艦が小樽港に入港すると、外国人専門の洋食店へと業態を変更し、ステーキ、フライ、目玉焼きなどの提供を始めた。2階には座敷とスペシャルルームに加え、バーまで設置され、夜には従業員がホステスをつとめた。当時としては珍しいSPレコードのジュークボックスもあり、テネシーワルツなどの流行歌も流れており[1]、アメリカ兵士や日本人の客が店員たちと一緒に踊る姿も見られた[4]。
店主が交通事故死したことで、1957年(昭和32年)頃に閉業した[1]。その後、この店で働いていた料理人の1人が独立し、いくつかの店を経て、1964年(昭和39年)に都通りで「中華食堂 桂苑」を開業するに至っている[1][2]。
