池田製菓

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池田製菓株式会社(いけだせいか)は、かつて北海道小樽市に本社を置いた製菓会社である。昭和初期から2006年(平成18年)にかけて、キャラメル、ドロップ、マコロン、粉末ジュースなどを製造・販売した。[1][2] 「バンビキャラメル」の製造元として知られ、全盛期には全国的な知名度を誇った。[3]創業者は池田泰夫(いけだ やすお)。[4][5]

沿革

創業前史

創業者の池田泰夫は新潟県柏崎市の出身で、1912年(明治45年)3月に柏崎商業学校を卒業した。[6]小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)への進学を志して同年6月に渡道したが、学問よりも実業に興味を持ち、小樽市内の雑穀問屋に奉公した。[7]

その後、バナナの加工業者が大きな利益を上げていることに着目し、神戸での半年間の修業を経て技術を習得した。[8]大正12年(1923年)4月に弟の泰次郎を呼び寄せ、花園町に60坪ばかりの家を購入し、地下室にムロを作り「台湾直輸入バナナ問屋」を開業した。[9]

戦前 ツバメ製菓時代

昭和に入り不況が続くと、池田は安価で栄養のある豆菓子に着手した。[10]1940年(昭和15年)、「ツバメ製菓有限会社」として池田泰夫が社長となり、小樽市花園町2丁目に発足した。[11]

戦時中は原材料不足のため、キャラメルや菓子類の製造が困難となったが、池田は「食い道楽」の大阪人が「昆布巻き」などを好むことに着目し、クズ昆布を用いた「海宝めん」(クズ昆布をソーダで溶かし小麦粉を混ぜた麺)や、漬物昆布などを製造して関西方面へ出荷し、食糧難の時代を乗り切った。[12]

池田製菓株式会社

戦後1948年(昭和23年)2月、「池田食糧工業有限会社」として再スタート。同年4月には高砂町2番地へ移転し「池田製菓株式会社」として、キャラメル、ドロップ、マコロン、豆腐菓子、バターピーなどの製造に加え、製パンの分野も手がけた。[13]同市高砂町2番地に移転した。[14]

1951年(昭和26年)には本格的にキャラメル製造に力を注いだ。[15]昭和30年(1955年)頃になると、大手メーカーの進出により北海道内に11社あったキャラメル工場は激減したが、池田製菓は生き残り、北海道を代表するキャラメルメーカーの一つとなった。[16]

2006年(平成18年)12月1日に度重なる業績不振で廃業。[17]


インスタント食品への進出

1961年(昭和36年)頃からは、キャラメル市場の競争激化や季節変動に対応するため、粉末のジュース、コーヒー、ココアなど「インスタント食品」の製造に力を入れた。1962年(昭和37年)4月からは、「インスタント・コーラ」も発売し、「アイディアの想定」をスローガンに掲げて独自性のある商品開発を進めた。[18]


商品詳細

キャラメル製品

バンビキャラメル 戦後、同社が最も力を入れた主力商品である。 1951年(昭和26年)「池田キャラメル」の名では地方的なため、新聞紙上で名称を公募した。朝日、毎日、読売の三大新聞に一等賞金3万円(当時の金額)で募集したところ、「バンビ」の名と画が当選した。 「バンビ」の名称と図案は米国のディズニーが登録商標を持っていたため、日本で権利を管理していた大映株式会社と交渉の結果、キャラメル1個につき1銭の使用料を支払うことで使用許諾を得た。その4年後には権利を完全に買い取った。[19]

  • ヒッチキャラメル 冬季用軟質キャラメル。冬期間でも硬くならないよう工夫された製品。[20]


豆菓子・ナッツ類

  • ツバメ印のバターピー
    • 戦前の不況期(昭和8、9年頃)に発売されたヒット商品。当時の特急「つばめ号」にあやかり、スピード感とスマートさをイメージして命名された。[21]
  • マコロン
    • 仙台へ視察に行った際にマコロン工場を見学し、製造を開始した。北海道におけるマコロン製造の創始者とされる。[22][23]
    • 当初は落花生の皮をむく機械がなく、大きな鍋で煮沸させて手作業で皮をむくなど苦労を重ね、その他、甘納豆、フライピーナッツなどを製造した。[24]

即席食品(インスタント製品)

昭和30年代後半より注力した分野である。国立栄養研究所の分析報告(昭和46年)によると、以下の製品が確認されている。

【池田バンビ清涼飲料水】 池田バンビピーチ 池田バンビグレープ 池田バンビパイン 池田バンビレモンサイダー 池田バンビメロンサイダー 池田バンビオレンジジュース 池田バンビイチゴジュース ※製造者名は資料内で「小樽・池田製菓KK」と表記されている。[25]

  • その他、インスタントコーヒー、インスタントココアなども展開した。[26]

その他

  • 豆腐:1953年(昭和28年)から豆腐事業にも参入し、キャラメルと並ぶ主力製品として東北6県や新潟へも販路を広げた。[27]
  • パン:戦後直後の昭和23年頃、パン部を設けて製造していた。[28]
  • 代用食品(戦時中):「海宝めん」(クズ昆布製麺)、昆布巻き、漬物昆布。[29]

提供番組・広告

  • HBCラジオ「子供の夢」
    • 北海道放送(HBC)において、子供向け番組「子供の夢」のスポンサーとなった。[30]
    • 番組内では「バンビ、バンビ、バンビのキャラメル」といったコマーシャルソングが流れ、子供たちの間で人気を博した。[31]
    • この番組提供に関連して、教育現場やPTAの一部からは、学校放送的な番組内容と商業主義(コマーシャル)の兼ね合いについての議論も巻き起こったが、「子供達に北海道のよさを知らせる」という番組の趣旨に賛同しての提供であることを池田製菓は強調した。[32]

倒産後

株式会社 北海道村が2007年にバンビブランドを継承。2013年2月25日事業停止。リンク先はアーカイブ。[33] 建物の跡地は、2009年に地域密着型介護老人福祉施設「ラポールなんたる」として活用されている。[34]

外部リンク

  • 池田食品 札幌の製菓会社。池田製菓からのれん分けの形で1948(昭和23)年創業。[35]

脚注

  1. 『小樽市史』第5巻 201p
  2. 消えた“バンビキャラメル”!小樽池田製菓が廃業!
  3. 『食文化と地域社会』、84p
  4. 『小樽市史』第5巻 201p
  5. 『食文化と地域社会』、81p
  6. 『私の歩んだ道』第14巻 192p
  7. 『私の歩んだ道』第14巻 191-195p
  8. 『私の歩んだ道』第14巻 199p
  9. 『私の歩んだ道』第14巻 199p
  10. 『小樽市史』第5巻 201p
  11. 『小樽市史』第5巻 201p
  12. 『私の歩んだ道』第14巻 208-209p
  13. 『私の歩んだ道』第14巻 210p
  14. 『小樽市史』第5巻 201p
  15. 『小樽市史』第5巻 201p
  16. 『私の歩んだ道』第14巻 219p
  17. [https://www.otaru-journal.com/2006/12/post_1499/ 消えた“バンビキャラメル”!小樽池田製菓が廃業!小樽ジャーナル
  18. 『私の歩んだ道』第14巻 218p
  19. 『小樽市史』第5巻 201p
  20. 『小樽市史』第5巻 201p
  21. 『私の歩んだ道』第14巻 206p
  22. 『小樽市史』第5巻 201p
  23. 『私の歩んだ道』第14巻 207p
  24. 『小樽市史』第5巻 201p
  25. 『国立栄養研究所研究報告』(S46)、106p
  26. 『私の歩んだ道』第14巻 218p
  27. 『私の歩んだ道』第14巻 219p
  28. 『小樽市史』第5巻 201p
  29. 『私の歩んだ道』第14巻 208-209p
  30. 『教育新潮』3(8)、30p
  31. 『教育新潮』3(8)、30p
  32. 『教育新潮』3(8)、30p
  33. 株式会社北海道村など2社|倒産速報|株式会社 帝国データバンク[TDB]
  34. 池田バンビ跡が老人ホームに変身
  35. 老舗豆菓子屋「池田食品」“地元が誇れる企業”であるための挑戦|Discovery|【公式】ホテルリソルトリニティ札幌